2012年3月20日火曜日

昨日女流棋士がCPU相手に敗退しました。 囲碁や将棋は男女別に別れていますが、肉...

昨日女流棋士がCPU相手に敗退しました。

囲碁や将棋は男女別に別れていますが、肉体的な部分がほとんど影響しないにも関わらず男性の方が強いのは何故でしょうか。

また、男女別にする意味があるのでしょうか?


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圧倒的に男性の方が強いと、あなたご自身も書いてらっしゃいますので、

それが男女別にする理由なのでしょう。

商業的に、何としても女性を組み込まない不利ですから、

優遇枠を作って取り込んでいるのだと思いますよ。



一般的に女性は、理論的な思考が苦手とされています。

(個人的には、「できないしする気もない」と言っても良いと思っていますが)

脳内で何パターンもシミュレートが必要な

このテの競技には向いていないでしょう。



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簡単に言えば、歴史の違いです。つまり、囲碁や将棋は昔は「男がやるもの」という概念があったのです。

これは、囲碁や将棋が、戦争のためのシミュレーションゲームとしてとらえられていたからです。



もちろん、現代においてそのような考えで囲碁や将棋をやる人はいませんが、残念ながら「おじさんたちがやるゲーム」というイメージだけが根強く残ってしまい、いまだに女性にはやや敬遠されている、という経緯があるのです。

底辺部分の競技人口が男女間で大きな開きがあるため、必然的にトップの実力の差も出てきます。



しかし、どちらの競技にとっても、女性ファンの拡大というのは大きな課題の一つです。競技人口そのものが減ってきており、団体の存続にも関わってくるからです。

女流棋士という制度は、基本的にはそうしたファン層の拡大を目的に作られたものです。もちろん実力的にはまだ男性には及ばないですが、普及という面においては、その貢献は計り知れません。

将棋連盟が、CPU対戦相手の一番手として女流棋士を選んだのも、「その方がメディア等の反応も良くなる」という計算があったに違いない、と私は考えています。


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男女別ではありません。男女共学です。ただ一人たりとも女性が合格しないだけです。合格者がすべて男性だという現実があるだけです。それ以上でもそれ以下でもない。そこに理由があるわけでもない。そういう現実があるだけです。


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男が女の色気の負けたなんて、話題が、紙面を踊らないためです(推測)

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