2012年3月27日火曜日

将棋と囲碁の男女差

将棋と囲碁の男女差

囲碁だとそれなりに男性プロと渡り合う女性プロがいるのに

将棋だと女性プロは歴史上1人もいません。(女流棋士ではなく奨励会抜けの四段)



スポーツなら男女差が顕著なのもわかりますが

知的ゲームでこのような現象が起こるゲーム性の違いって何でしょう?


|||



女性の参加を容認する歴史の差ではないでしょうか。



囲碁・将棋とも、江戸時代の幕府の後ろ盾を失って棋士自身が生計の道を求めなければならなくなった明治以降、将棋はずっと頑なに「将棋は女のやるものではない」という姿勢であったのに比べて、囲碁は、秀甫の方円社が積極的に女性の生徒を募集することが碁界の底辺を拡げることにつながる、という先見の明があって、女性のお弟子さんを抱えたり、明治時代の財閥の奥様に碁の手ほどきをして理解を得て有力な後援者となってもらったり、囲碁のほうから女性に寄って行く姿勢がありました。



碁は、ずっと前から女性を受け入れていたのです。

その中で、誰かが最初の1人のプロ棋士となって、その地位がはっきりするまでは時間がかかりました。代表が、秀栄・秀哉の時代の喜多文子でしょうか。女性一人、男性に混じってプロを目指し(今の院生にあたる修行時代は髪の毛も切って男装していた)、プロになってからは、万朝報や時事新報の勝ち抜き戦で、秀哉の大石を取ってつぶして5人抜きなど、実績も残します。



そうして日本棋院創立のあとは、引退して、女流棋士の育成に力を注ぎました。



最初の一人になるのは難しいけれど、誰かが先鞭をつければ、道は一遍にひらけるし、「女性で棋士になったら、どうなる?」という心配には、最もよいお手本にもなったわけで、囲碁には、「女性のプロ棋士」について、すでに140年くらいの歴史があります。





単に、将棋の場合は、「これから」だと思います。

だれかが、最初の四段になれば、そのあとはどんどん増えていくのではないでしょうか。



|||



男性は「対立」し、女性は「調和」する(だっけ?)生き物なので、

「対立」だと将棋、「調和」だと囲碁 なのかもしれません。

将棋は王将を取る、囲碁は陣地を分ける なので。



しかし囲碁においては、



男性:テキトーに陣地を貰えばそれで満足

女性:全部自分の陣地にしないと気が済まない



・・・という感じで打つ方が多い、とは聞きますけど@@;


|||



ゲームの愛好者全体に対して女性の比率が小さいのは顕著な事実で、男女の脳梁の太さの違いなど、脳の構造が関係あるのだろうなとは思います。ただ、囲碁と将棋で女性愛好家の数に差があるのは、ゲームそのものの違いからくるものではなく、社会環境に起因すると思っています。そういう点ではmichiyoさんに同意です。



しいてゲームの違いに理由を求めるなら、将棋と比べると囲碁は盤が(物理的に)大きく、一局あたりの手数も時間もかかります。また、対局するためにはルールを覚えたうえに死活の概念を理解しないと囲碁にならず、これが初心者にとってはけっこうハードルが高いです。その点、相手の王将を追い詰めるという将棋は理解されやすく、そのためもあってか愛好者の数(とりあえずルールは知っている、指したことがある、といったレベルを含む)では将棋のほうが多い。これがイメージ的には囲碁は上品、将棋は下品、といって悪ければ庶民的、となり、女性が囲碁を学ぶのに抵抗が少なかったとも考えられます。



ちょっと余談も入りますが。NHKの大河ドラマ「江」の最終回のなかで、主人公の江が夫の隠し子とゲームで遊んでいるシーンがありました。あれは盤双六(あるいは単に双六)で、平安のころから人気のあるゲームでした。碁盤、将棋盤と並んで双六盤は三盤と呼ばれ、両家の娘の嫁入り道具になっていたとか。その後、そのギャンブル性の高さから禁止令が布かれ、近年になってバックギャモンとして再輸入されています。



この点を考えると、江戸時代に囲碁や将棋の女性愛好家がどの程度いたのかはわかりませんが、同程度であったとしても不思議ではないと思っています。明治以降の混乱期に差がついたと考えたほうが妥当ではないでしょうか。


|||



囲碁は地を取り合うゲームです。

戦う部分もありますが、自分の領土の広さを競うわけです。



将棋は王を取り合うゲームです。

他に駒が多くても王をとられれば終わりです。



女性より男性が闘争心や戦う本能的なものが強いからだと思います。


|||



将棋に影響がある能力として空間認識能力があるようです。

この空間認識能力は男女差がかなりあり、

車の運転などでは能力差が顕著に現れます。





将棋は駒の損得や手番、玉型等を総合して形勢判断をし次の手を考えます。

この大局観はプロになると盤面を一瞬見て判断できるそうです。





将棋の男性プロ、女性プロの棋力の違いには

この空間認識能力の差が

大局観の差になって表れているのが主な原因だと思います。


|||



なぜなんでしょうね?

競技人口に圧倒的な男女差があって、女性の競技として確立していないとか?根本的に、女性の好む競技ではないとか?


|||



囲碁でも将棋の様な年間2名の採用に成れば殆んど女性のプロは誕生しません。この点に置いて違いが有りません。

女性プロ採用の特別枠で年間に一名の女性のプロが誕生して居ます。

囲碁では年間に10名程のプロが誕生します。



囲碁では教わると強く成る部分が多い、将棋は教わっても強く成らない。

こんな点が囲碁での女性のプロが誕生する理由です。



囲碁では女性に教わって居る爺ちゃんがよくいる、将棋ではそんな光景を見た事無いです。


|||



一将棋ファンの推測なので、合っているかどうかは定かではありませんが。



将棋プロ棋士に女性が一人も生まれないのは、以下の2点に原因が有る様に

思います。



(1)囲碁は終局が「何対何でどちらの勝ち」(中押し勝ちも時々ありますが)に

対し、将棋は「100対0でどちらの勝ち」。この厳しさに、感受性の強い女性が

耐えられない。



(2)女流棋士という存在がプロ四段を目指す際に、足枷になっている。

即ち、奨励会に入会できるほどの棋力が有れば、女流棋士にはなれます。

「棋士になれなかった場合には、女流棋士という滑り止めが有る。」

それ故、女性の奨励会員は(本人は意識しなくても)修行が甘くなってしまうの

ではないでしょうか。



(念のため書いておきますが、私は決して女流棋士の存在自体を非難している

訳ではありません。)


|||



知能の能力差でなく、知能の性質の違いではないでしょうか。



男性は「バカ」「キチガイ」「オタク」と1つの事柄にのめりこむ性格がありますが女性は広く浅く、卒なく扱う性格です。



そのためゲームや研究(特に理科系)において男性のほうが女性に比べて表に出るのが顕著になるのではないかと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿